パッション・フラメンコ

8/19(土)魂のロードショー!

私は踊る、情熱と魂を”声”にして――

イントロ&ストーリー

声よ、届け!
パコ・デ・ルシア、アントニオ・ガデス、
カルメン・アマジャ、カマロン・デ・ラ・イスラ、
エンリケ・モレンテ、モライート・チーコ、
フラメンコ界に燦然と輝く6人のマエストロに捧げた奇跡の舞台
現代フラメンコ界最高のフラメンコダンサー、サラ・バラス。革新的な舞台と、ルールを打ち破る姿勢が絶賛され、若くして世界中にその名が知れ渡った。カルロス・サウラ監督作『フラメンコ・フラメンコ』などでも注目される彼女は、常に新作が期待される。本作では6人の巨匠たちに捧げた『ボセス フラメンコ組曲』初演までの3週間と、世界ツアーに密着。サラの“声”を偉人たちに届ける一大スペクタクルは冬のパリを皮切りにメキシコ、アメリカ、日本、そして母国スペイン、故郷のでカディス上演され、熱狂の嵐を巻き起こす――。
リスクは冒すもの、ルールは破るもの。
踊り続ける女王の果てなき挑戦を映し出した、
情熱のドキュメンタリー!
パリ。名門シャンゼリゼ劇場での初演は無事に成功した。サラは観客の反応やツアー先で触れた刺激を舞台に盛り込み、回を重ねるごとに内容を磨いていく。NYではローリング・ストーンズのサックスプレイヤー、ティム・リースを迎えてのスペシャルなフラメンコを披露。東京では新人時代の彼女が踊ったタブラオ『エル・フラメンコ』でダンサーとしての原点に立ち返り、母国スペインでの晴れ舞台に臨む。どんな舞台に立っても、堂々たる姿で高速ステップを刻むサラだが、一方でスペインに残してきた幼い息子のホセに涙をこぼす瞬間。過酷な人生を歩んだフリーダ・カーロに自らを重ねる女性ならではの苦悩。喜びも苛立ちも悲しみも、すべてをフラメンコに昇華させるサラの情熱の“声”。これは全女性に送る人生の応援歌なのである。

監督インタビュー

天才ダンサー、サラ・バラスの声に耳をすませば  人生にはさまざまな声が満ちている。私たちを前進させる声もあれば、後退させる声もある。サラ・バラスはまちがいなく、私たちの人生を前進させる声の持ち主だ。 バラスはフラメンコの歴史に残る偉大なバイラオーラ(フラメンコダンサー)のひとりである。古典の枠にとらわれずに、飽くことなく努力を続ける自由な生き方は、フラメンコを知らない人たちにも見習うべき人物と写るはずだ。

 本作はバラスと舞踏団が2014年から15年にかけて開催した『ボセス フラメンコ組曲』の誕生から世界ツアーのゴールまでを追いかけている。立ち上げからたった3週間で初演を迎えるプレッシャーに、さすがのバラスも苦労を隠しきれなかった。しかし、日々の稽古で仲間のダンサーや彼女自身の演技が洗練され、力強いショーに変化していく様子を間近に見て、また、音楽チームや技術担当に彼女が詳細な指示を出す姿に、私たちはバラスが並外れた才能を持つ芸術家であると再確認したのだった。

 『ボセス フラメンコ組曲』ではパコ・デ・ルシア、カマロン・デ・ラ・イスラ、アントニオ・ガデス、エンリケ・モレンテ、モライート・チーコ、カルメン・アマジャと、彼女が尊敬するフラメンコの“声”を紹介していく。6人の巨匠はフラメンコ界に新しい風を吹き込み、金字塔を打ち建てたことで知られる。彼らに共通するのは業績、パワー、創造性、モダンさ、自由、そして幸せである。6つの“声”をバラスがしっかりと受け継いでいるか、作品を見てもらえばわかるだろう。

  このドキュメンタリーは社会に変化をもたらした改革者としてのバラスも紹介している。彼女はフラメンコダンサーとして活動を始めたときから、パンツ姿で男性向けのダンスに取り組んでいた。今よりずっと保守的だった時代のことだ。伝統的な水玉模様のスカートを嫌う彼女に、男女の垣根を越えてフラメンコのルールを変えた異端者だと、世間は集中砲火を浴びせた。しかし、バラスは挑戦を非難された辛苦を振り返りながら、世界を動かすためには世間の声に惑わされてはいけないと語る。彼女の世界的成功はポリシーを貫くひたむきな姿勢が引き寄せたものだからだ

 現代社会では、だれもがなんらかの不満を抱えて生活している。歴史が証明するように、アーティストは停滞する社会と人々に刺激を与え、変化を促す力を持っているのではないか。バラスが自分では気づかないうちに、フラメンコの世界を変えていたように。

監督:ラファ・モレス、ぺぺ・アンドレウ

6人のマエストロたち

Paco de Lucía
パコ・デ・ルシア 1947年12月21日、カディス県アルへシーラス出身。7歳でギターを弾き始め、超絶的な速弾きと類まれなるテクニックでフラメンコに革命を起こした。ジャズやフュージョンの世界でもその技術が認められ、広く知られる存在となった。フラメンコ映画の第一人者であるカルロス・サウラが監督した『フラメンコ・フラメンコ』では、バラスと共演する姿が記録されている。14年2月25日に心臓発作を起こし、メキシコ、プラジャ・デル・カルメンで急逝。享年66歳。14年には息子のクーロ・サンチェスがルシアの半生と関係者の声をカメラに収めた『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』が公開された。
Camarón de la Isla
カマロン・デ・ラ・イスラ 1950年12月5日、カディス県サン・フェルナンド出身。8歳で歌を始め、19歳でフラメンコギター奏者のパコ・デ・ルシアのサポートでアルバム「カマロンとパコ・デ・ルシア第1集」でデビュー。カンテ(フラメンコの歌)の革命児ともてはやされ、パコとのコンビでヒットを飛ばす。しかし名声の陰で麻薬に溺れていき、1992年7月2日、肺がんのため42歳で世を去る。05年には早すぎる天才の死を悼み、伝記映画「Camarón」(05・未)が作られ、彼の苦悩が明らかにされた。
Antonio Gades
アントニオ・ガデス 1936年11月14日、アリカンテ県エルダ出身。10代で巨匠ピラール・ロペスに見出され、スペインのフラメンコ界を代表する舞踏家となる。62年自らの舞踊団を結成し、スペイン・アンダルシア地方の民族舞踊であったフラメンコを世界芸術の域まで昇華させた。1974 年、スペインを代表する詩人ガルシア・ロルカの戯曲をもとに「血の婚礼」を初演。81年にはカルロス・サウラ監督で映画化された。83年には再びサウラ監督と組み、映画版『カルメン』を共同制作。その後、舞台化され、フラメンコ史上最大のヒット作となる。04年、自身の作品の保護や普及を目的とする財団を設立。この時新たに結成した“アントニオ・ガデス舞踊団”は、今も世界中で活動し喝采を浴びている。04年7月20日にマドリードで死去。享年67歳。
Enrique Morente
エンリケ・モレンテ 1942年12月25日、グラナダ出身。カマロンと並び国民的なフラメンコ歌手として人気を二分した。少年時代にグラナダのカテドラルの聖歌隊に所属していたが、才能が認められて14歳の頃にはマドリッドでプロとして歌うようになる。古くから伝わるフラメンコだけでなく、ジャズやタンゴなど様々なジャンルの音楽とのコラボに挑戦したことから、フラメンコの改革者とも呼ばれている。68歳の誕生日を控えた10年12月13日、腫瘍除去手術のための入院中に脳梗塞で死去。のちに医療ミスが発覚し、突然の悲劇にスペイン国内が深い悲しみに暮れた。入院する2日前までソフィア王妃芸術センターに収蔵されているピカソの絵の前で歌う元気な姿が報道され、退院後にはコンサートが予定されていた。
Moraito Chico
モライート・チーコ 1956年9月13日、カディス県ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ出身。フラメンコギターの名門一家に生まれ、幼い頃からギターの手ほどきを受ける。11歳のとき、地元で開催されたフラメンコフェスティバルでデビュー。フラメンコの歴史に残る大歌手たちに正統派の“ヘレス・スタイル”が好まれ、歌伴奏の名手として伴奏を多数担当した。92年に発表した初のソロ・アルバム「モラオ・イ・オロ」はフランスのレコード協会の賞を受賞。11年8月10日、54歳でガンにより故郷ヘレス・デ・ラ・フロンテーラにて死去。12年4月4日、彼の功績を讃えて、ヘレスのバレーラ通りがモライート・チーコ通りに改名された。
Carmen Amaya
カルメン・アマジャ 1913年11月2日、バルセロナ出身。ロマの家系に生まれる。。ギタリストの父の伴奏で6歳から人前で踊り、8歳でパリデビューを飾った天才バイラオーラ。35年には主演作「La hija de Juan Simon」で映画デビューし、翌年に勃発したスペイン内戦勃発を機にアメリカへ渡る。41年にはブロードウェイデビューを、44年には「Knickerbocker Holiday」でハリウッドでデビューする。高速の足さばきと正確なリズム、情熱的な踊りが高く評価されたが、女性はドレスで踊るものとされていた時代に男装を取り入れたり、ロマ出身にも関わらず同族で結婚しなかったことで賛否両論を巻き起こした。アントニオ・ガデスと共演した『バルセロナ物語』(63)の撮影後、63年11月19日に腎臓病のため40歳の若さで世を去った。

スタッフ&キャスト

サラ・バラス
Sara Baras
1971年4月25日、スペイン・カデス出身。スペイン軍中佐の父とフラメンコダンサーの母の間に生まれる。母親の影響でフラメンコを踊るようになり、エル・グイト、アントニオ・カナーレスなどの名手と多数共演して才能を開花させた。フラメンコの名手と多数共演して才能を開花させると同時に、テレビ番組の司会やCM出演、ファッションモデルとしても活躍。98年には自らのカンパニー「サラ・バラス・フラメンコ舞踊団」を設立し、以後、13もの舞台を上演してきた。03年には舞踊国家賞、翌年にはアンダルシア州金メダルなど重要な賞を多数受賞するなど、フラメンコ舞踊界を代表する一人である。映画出演は、マイク・フィギス監督のドキュメンタリー『フラメンコウーマン』(97/未)を始め、カウロス・サウラ監督作『イベリア 魂のフラメンコ』(06)『フラメンコ・フラメンコ』(10)「J:Beyond Flamenco」(16・今秋公開予定)など。フラメンコダンサーとしての活動の傍ら、難病レット症候群の研究資金や患者の闘病生活を支援する財団「ミ・プリンセサ・レット」に協力している。
ティム・リース
Tim Ries
1959年8月15日、ミシガン州テクムシー出身。トランペット奏者の父親の影響で、8歳からトランペットを始め、10歳でサックスに転向。14歳の頃から正式にクラシック音楽を学ぶ。ザ・ローリング・ストーンズには「ノー・セキュリティ・ツアー」(99)からサックス&キーボード奏者として参加。ストーンズの「リックス・ワールド・ツアー2002/03」中に製作したアルバム「ティム・リース/ザ・ローリング・ストーンズ・プロジェクト」(05)は、ノラ・ジョーンズが歌う「ワイルド・ホース」が大きな話題になった。08年発表の第2弾「ストーンズ・ワールド~ザ・ローリング・ストーンズ・プロジェクトⅡ~」(08)では「Jumpin' Jack Flash」でサラ・バラスらフラメンコの名手と共演。主な共演ミュージシャンはローリング・ストーンズ、ドナルド・フェイゲン、ポール・サイモン、シェリル・クロウ、スティーヴィー・ワンダーなど多数。
監督:ラファ・モレス
Rafá Molés
スペイン・バレンシアを拠点に活動するジャーナリストで、地元チャウメ1世大学コミュニケーション学部の教壇に立つ。過去作にペルーで収監されたスペイン人に関するドキュメンタリー作品「L´ultim vol」(06)や代理母ネットワークにマフィアがのさばる惨状をレポートした「Ventres de lloguer」(06・未)、アートのブラックマーケットを告発する「La Falsa Comtesa」(08・未)など。14年にアンドレウと発表したダンスドキュメンタリー「FIVE DAYS TO DANCE 」(未)は、スペイン国内外の映画祭で高く評価された。12年にバレンシア・ジャーナリズム賞で「今年のジャーナリスト」賞を受賞している。共同監督のペペ・アンドレウとドキュメンタリー制作会社「SUICA Films」を設立している。
監督:ぺぺ・アンドレウ
Pepe Andreu
テレビのプロデューサー兼ディレクターとしての15年のキャリアを持つ。代表作に、ユネスコの無形文化遺産に登録されたスペイン・エルチェに伝わる聖母の被昇天を描く音楽劇「エルチェの神秘劇」を伝える「Mistèri d’Elx: les veus d’un poble」(05・未)、スロバキアの犬繁殖農場とヨーロッパにおける違法取引を追う「 Lafàbricade cadells」(10年・未)、バレンシア王宮の遺跡の謎に迫る「Buscant el Palau Reial」(10・未)など。共同監督のラファ・モレスと設立したドキュメンタリー制作会社「SUICA Films」ではバレンシア地方の歴史や社会問題を取り上げる作品を制作している。